台東区浅草橋3丁目

ハンディの大移動

 スタジオを引っ越すことになり、自宅もこれと同時に引っ越すことになった。当時は練馬区の奥深く、スタジオと自宅が一緒になった一軒家で暮らしてていたのだが、それがいきなり東京の中心近く、千代田区に会社を移転することになってしまった。もちろん自分で望んで選択した道だ。詳しいことは電塾の公式サイトになぜかあたしの個人の日記を掲載している“カノッサンの屈辱”にあるのだが、“おかく”はその大変動にまた巻き込まれる事になった。今まで自宅権スタジオで全て階段をのぼると自宅、階段を下るとスタジオ、という零細企業丸出しの形態だったのが突然自宅と会社は別物、という傍から見れば全うであってもあたしたちにとっては大きな環境の変化に飛び込んでいくことになったのだ。(零細企業である事に変わりはないが)
 一番の大きな違いはスタジオに猫がいない事。猫たちは自宅。あたしたちは昼間はスタジオ。これが思いもかけないトラブルを呼び込んだ。実は自宅と会社が一緒だったってことは、ほんの小さな時間のすき間ができれば、その時間を“おかく”たちの世話に当てる事が出来たのだ。それが全く出来ない、おまけに引っ越し当時はスタジオも自宅も足の踏み場もないくらいにごたごたしており、仕事をしながらその整理をし出すと必然的に深夜に帰宅、早朝に出勤ということになってしまう。その際に自宅を選択する基準としてスタジオから半径歩いて15分以内という条件が最大の条件だった。(この案件に関しては今でも異存はない)そのためには日当たり無視。広さ無視。家賃とスタジオまでの距離だけ重視という観点で自宅を探し、その結果、日当たりがまるで望めない、しかし家賃は安く、大宅さんはいい人の貸マンションを探し当てる事が出来た。
 しかし、日当たりと必要な広さを無視した結果、住んでみて一ヶ月もしないうちに破綻がでてしまい、あたしの家庭は不満とうっぷんが充満する家庭になってしまった。
 あたしも“久田”もこの条件は重々承知の上で決めたマンションだったので、あえてお互いに文句を言う事も出来ず、我慢に我慢を重ねて、新しいスタジオの運営を何とか軌道に乗せようと無理に無理を重ねていたようだ。ある日、“久田”が(いや、あたしが言い出したのかも知れない)近くにこんな売りマンションが在るよ。家賃を考えるといまとそんなに変わらないよねって言い出した。“おかく”と“ぺこ”はその間、日の当たらない自宅で一日の2/3を文句も言わずに暮らしてきたのだ。あたしたちの意見は久しぶりに夫婦としての新しい目標を掲げ、一心同体となって立ち向かう事になった。曰く、ねこたちが、あたしたちのいない間もお日さまを浴びて幸せに暮らせる“おうち”。荷物が最低限かたずけられる家。たまに自宅にられる時に、寝坊をしてもお日さまで目をさますことができる家を手に入れようと。
 さまざまな紆余曲折は在ったが、ついにその条件を満たすうちを手に入れた。まさかマンションを買うなんて思ってもいなかったけれど、そうでもしないとこの条件(スタジオから歩いて15分以内というあたしの初期設定はかたくなに守られた)を満足させう物件には会えなかったのだ。かくして自宅は二回目の引っ越しをたった一ヶ月でおこなうことになった。
 “おかく”にとってはきつかっただろう。あの広い練馬の家からコンクリートのマンション、しかも狭いところを二回も引っ越しさせた環境の変化、しかも悪化に向かう時にはかなりのストレスを感じるらしい。“おかく”と“ぺこ”の意見を無視した(それでも建前は猫たちのため)この移動はかなりの負担をかけたはず。特に命のぎりぎりまで燃やして生き続けてくれたくれた“おかく”には。

 実は浅草橋三丁目で撮った写真は一枚も存在しない。そこまで追いつめられていたのだなあ、と今更に思う。